有村架純、興収20億円の映画連発で連ドラ初主演も決定! 大躍進のウラ側に苦労人の過去


 週刊誌『女性自身』(光文社)によると、有村が中学1年生の時に両親が離婚。有村と姉(現グラドルの新井ゆうこ)は母親に引き取られ、母親は働きながら女手ひとつで二人の娘を養っていたが、自宅を手放すほど経済的に厳しくなった時期があったという。姉は関西でモデル活動を開始し、それに影響されて母親を助けようと思ったのか有村も芸能界入りを志すようになった。

 母親に負担を掛けないよう、有村は高校1年のころから上京資金を自分で働いて貯めようとし、蕎麦店と寿司店で週に計6日のアルバイトをしていたという。学校のある日は下校後に4時間、休日は朝から10時間も働いていたというから驚きだ。さらに「自転車で転んで膝から下が血まみれになっていても出勤してきた」「高熱でも平気な顔で働いていた」というド根性エピソードも紹介されている。

 今でこそ華やかな売れっ子タレントだが、そのウラ側には決して裕福ではなかった母子生活や夢のために汗を流してお金を稼いできた経験があったようだ。

「有村は事務所との信頼関係が非常に強く、大々的に売り出そうとしてくれた事務所の方針に彼女も全力で応えています。寝るヒマもないような多忙状態ですが、愚痴ひとつこぼさない。性格美人で業界内の評判も非常にいいのですが、それは仕事の大事さを知っている苦労人ゆえなのでしょう。同じ『あまちゃん』でブレイクした能年玲奈(21)は事務所の待遇に不満タラタラで独立騒動になっていますが、それとは好対照。ドラマでは主演と脇役という差があったのに、現在のポジションが逆転してしまったのもうなずけます」(芸能関係者)

 能年のトラブルに関しては事務所が悪質な対応や冷遇をしていたとの見方もあるため、同情できる部分も多々ある。だが有村のような苦労人タイプであれば、もっと上手く立ち回っていたのではないかという気はしてしまう。いずれにせよ、過去の苦労を糧に芸能界で奮闘する有村の大活躍は今後も続きそうだ。
(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops

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