【女と男の隔たり】元カレが忘れられない女:前編

「そう思うと…やっぱり…」


 3回目だよ、と思う。3回目。マリ、あなたはいま、全く同じ話を、3回したよ。


「大丈夫?」


 先ほどと同じように問いかける。けれどやはり、マリは僕の言葉には反応しない。好きに話し、勝手に泣き、自分に酔っている。元カレを忘れられない自分に酔っている。そうとしか思えなかった。


「…やっぱりツラくて…」


 ここで共感をしてしまったら、また同じ話が始まってしまう。何度この再放送を見ればいいのだろう。寄り添うのにも飽きた。どうでもいいことを考えてやり過ごすのにも飽きた。バックのブランド名も、けっきょく思い出せていない。


「…急にフラれちゃって…私、好きだったから…」


 せっかくラブホテルでふたりきりだというのに。


「マリのことは好きだよって、言ったんだよ。でも好きなら、なんで別れるっていうのか私にはわからなくて…」


 この話を聞くためだけにホテル代を払ったのかと思うと、後悔の念が押し寄せてくる。ツラいのだろうと思って最初は寄り添って聞いていたが、ここまでくるともう暴力だ。なぜラブホテルにまで来て、元カレが好きだという話を何度も聞かなくてはならない。


「マリ」


 もうどうにでもなれ、という思いが身体中を駆け巡る。体のいたるところの欲望のスイッチが押されていく。


「ツラいよね。だからさ」


 マリの頬に手を添える。涙はまだ乾いていない。


「今日はさ」


 手を引いてこちらを向かさせる。主張の強い顔がぐちゃぐちゃになっていて、もうお世辞にもキレイとは言えなかった。


「俺でさ」


 頬を伝う涙の道筋は唇へと繋がっている。涙を受け入れた唇は、とても艶っぽく濡れていた。


「元カレのこと…忘れて」


 涙で濡れたマリの唇に、僕は自分の唇を重ねた。マリは抵抗せずにそれを受け入れる。全く抵抗するそぶりを見せなかったから僕は驚いた。

 唇を離し、マリに告げる。セックスをしたいという欲望をオブラートに包んで。


「元カレのことが好きなのはわかった。でも今だけは、俺で忘れてほしい」


 僕は再び唇を重ねる。マリはよけることなく、僕のキスを受け入れた。そして、僕は舌を出し、マリの唇をなぞる。元カレへの未練による涙で濡れた唇を、僕の性欲で上塗りしていく。

 マリの唇はしょっぱかった。涙で濡れているから当たり前だ。マリの体から溢れた水分を、僕は舌で丁寧に掬い取っていく。あなたの悲しみは僕が忘れさせてあげますよ、というように。

 僕はしょっぱさが消えるまで、マリの唇を舐め続けた。マリはそれを、目をつぶりながら受け入れていた。

 さっきまで「元カレのことがまだ大好き」と泣いていたマリ。その数秒後に、違う男のキスを受け入れている。僕自身から仕掛けたこととは言え、不思議だった。本当に元カレのことが好きならば、キスを拒んでもいいんじゃないかと思うから。

 しかし、マリは僕のキスを受け入れた。ということは、マリの中である程度の区切りはついているのかもしれない。


「舌、出して」


 拒まれるかもしれないと思ったが、マリは素直に舌を出した。少し赤白くて柔らかそうなマリの舌。もう僕の舌を待っているようにしか見えない。


「ありがとう」


 僕はマリの舌に自分の舌を触れさせた。触れ合った瞬間、舌は淫らに交わり始める。今度はもう、マリの方からも舌を動かしていた。さっきまで元カレのことが大好きと言っていた口の中で。

 好きな人ができると、その人のことだけで胸がいっぱいになる。付き合うことになれば、その想いはさらに広がっていく。心の大部分を恋人が占めることになる。

 しかし、大好きなまま別れてしまうと、心にぽっかりと穴があく。大好きな人が占めていた大きさと、同じ大きさの空洞ができてしまう。その空洞を埋めるには、その人への想いが大きければ大きいほど、時間はかかってしまうだろう。

 マリは別れた元カレのことがいまだに大好きだと言った。別れてから彼の良さにも気づいたと言っていたので、その心の空洞は別れた瞬間よりもさらに広がっているのだろう。

 マリが僕のキスを拒まなかったということは、僕でその空洞を少しだけ埋めようとしているのかもしれない。マリだって、広がってしまう喪失感を少しでも埋めたいはずだ。だから、最終的にラブホテルに行くことを許したのかもしれない。僕はマリが大好きな元カレと同じ性別の「男」だから。

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