「もう、死んでしまいたい」AV女優・春原未来の嘆きを鬼才・ヘンリー塚本が熱い抱擁で受け止めた! FAプロが創設以来初の自主イベントを開催


 ファッションショーでは、川上が「クメールの女戦士」をイメージした兵士姿、寺崎は割烹着の女中姿、春原は若い百姓の娘に扮して会場を沸かせた。

 

1117fahenri_04.jpg川上ゆう
1117fahenri_06.jpg寺崎泉
1117fahenri_05.jpg春原未来

 
 いずれもヘンリー監督が直々にコーディネートして着付けも行ったもので、「昔はメイクさんや衣装さんが雇えない貧乏な時代があって、わたしが着付けから何から何まで全部やっていましたから」と監督は登壇後、照れくさそうにそれぞれの衣装のポイントなども説明。川上は衣装に絡め、FA作品で使われる大道具や小道具についても「FAプロの撮影ではスタジオにないものは作ってしまったりするんです。小屋とか蔵とか。場合によっては水道まで作っちゃう。水も出るみたいな。最初はびっくりしました」と細部にわたってこだわるスタッフの熱意も紹介した。 
 

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 監督への質問タイムでは、FAの秘密が次々と明らかになることに。春原は「ヘンリー塚本」の名前の由来について質問。監督は「『凌辱戦線(1985年)』という作品を作った時に、スタッフの名前をみんな英文にしようってことで、その時に初めてヘンリー塚本って名乗ったんです」と明かし、「ゴロがよくて、重みがあって、そして将来いい名前になるであろう名前ということでつけましたが、今はそれが本当に自分らしい名前になった。その前は『マツモトケイコ』とかね、『シマダゴイチ』とかね、適当に付けていたんですけどね」と述懐。「名前のせいで、私のことを日本人と思わない人もいらっしゃるみたいですが、れっきとした亀戸生まれの日本人ですよ」と笑顔で語った。 
 

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 続いて寺崎が、「今まで撮影した中で一番たいへんだった撮影とか、苦労した撮影ってありますか?」と問う。するとヘンリー監督は、同じく「戦場シリーズ」の原点的作品でもある『凌辱戦線』を挙げ、「あの時はスタッフが2人だった。でも出演者は総勢で35人くらい。わたしが朝の弁当から運転、みなさんのお昼の準備から一人でかけずり回って、丸一日、疲れ果てるような思いでやりました」と振り返る。創設以来ずっと戦場ものにこだわる理由についても「当時、大手メーカに対して、他社が作れない、作らないものを作ろうということでわたしが選んだのが戦争もの。この細い体でよくかけずり回って撮りました。ロケはいつも千葉県で、サバイバルチームの人たちがそこでよくゲームをやっていて、彼らにも出てもらったりした。千葉は2歳から11歳までわたしが過ごした思い入れのある場所でもあり、『昭和』作品の原点もあそこにある」と監督。労力をかけてまで戦争を描くことについても「わたしの場合はFAの経営者でもありますから、一年に一回、利益を度外視して、戦争ものなど、自分の好みの作品を作るんです」と説明していた。 
 

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 川上はFA作品のエンディングで出演者が作中の衣装を次々に脱ぎ捨てながら行う“FAダンス”について、「どんなきっかけではじめたんですか?」と質問。監督は「これは思い出深いんですが、ビデ倫がヘアを解禁するという情報が流れた時に、そのヘアを解禁するにあたって、ファンにどんなサービスができるかと考えて試行錯誤の上に考案した」と回答。「たまたま『トーク・トゥ・ハー』という映画を見て、その作品の最後に出演者全員がセクシーに腰をゆらして踊るシーンを見て、『これだ!』と思った」と明かし、「ファンが喜んでくれるので、今も続けています。これからも続けます」とコメントした。 
 
 

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