JKコミュニティー摘発! 男に消費され続ける少女たちの素顔とは…


 少女売春が“援助交際”と呼ばれ、カジュアルにウリ(売春)が行われるようになったのも同時期だ。当時、筆者はブルセラ系青年誌の制作に関わっていたのだが、素人の女子高生が制服姿でグラビアに登場するコーナーでモデルとしてやってきた少女のうち、8人に1人の割り合いでウリ経験者だった。1人が経験しているということは、彼女が通っている女子高内で割のいいバイトとして口コミが拡がり、その中から3~5人が巻き込まれていき、さらにネズミ算式に増えていくのだ。

 テレクラやツーショットダイヤルあるいは伝言ダイヤルで知り合った男と待ち合わせして、カラオケBOXで歌ったり、ファミレスで食事する少女もいれば、即ホテルへ行く少女とウリ方は様々。まだ景気が悪くなかったので会うだけでも5千円はもらえていたし、SEXすれば3万円以上もらっていた。処女をお金に変える女子高生もいて、10万円の値がついていたこともあった。当時の女子高生たちの連絡ツールはポケベルやピッチと呼ばれていたPHS。ネットが普及する前だったので、現在に比べれば随分と素朴な方法で客と交渉していたものだ。

 割のいいバイトの情報元は、歌舞伎町と新大久保の境界近辺や明治通沿いのマンションの一室にもあった。形態はデートクラブなのだが、まるで放課後のサロンのように学校帰りの女子高生たちが集まり、菓子を食べながら指名を待つ。もちろん、その場所を与えているのは大人たちで、消費される少女から上前をはねる悪党だったのだが、意外にも親よりも話をわかってくれるオジサンとして慕われていた。一番居心地がいい場所として学校をサボって昼間からくつろいでいる女子高生も少なくなく、皮肉にも行き場をなくした少女たちのシェルターの役割りを持っていたのかもしれない。

 少女たちのシェルターといえば、取材という方法で女子高生たちのシェルターになり、希望を見つけようとしていたフリーライターがいた。1994年に発行され、テレクラの出会いをルポしたノンフィクションが話題になった『瞬間恋愛』(風雅書房/絶版)の著者、東ノボル(1999年没)さんだ。彼は、ブルセラブーム当時の援助交際する女子高生を取材した1997年発行の著書『援助交際 32人のすご~い本音』(日正堂/絶版)の序文で、「8時間もぶっ通しで自分を語ってくれた子がいた。僕の事務所に来て学生運動の記録ビデオを見ながら『熱くなりたい』と目をウルウルさせた子がいた。『おカネはいらないから(笑)また話がしたい』と電話をかけてくる子がいた。彼氏のこと、SEXの悩みを誰にも言えないから相談に来る子がいた。『ウリはしたくないけどお金がほしいから』と取材を援助交際代わりに考える子ももちろんいた。(中略)デートクラブを摘発しようとテレクラを規制しようと“淫行条例”を乱発しようと、援助交際は後を絶たないだろう。しかし、彼女ら自身が自らの体験を通して援助交際から決別する日も来ると信じている」と綴っている。

 東ノボルさんが出会った少女たちが大人になり、その子供たちが女子高生になっていく現在。相変わらず話を聞いて欲しい少女、悩みを誰にも言えない少女は絶えない。貧困や孤立で行き場をなくした女子高生たちのセーフティーネットが必要だ。彼女たちの未来を信じる大人が必要なのだ。
(文=坂上五郎)

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