祝・ご懐妊

暴れん坊は海老蔵だけじゃない!! 愛人3人のビッグダディも「市川團十郎」の業

danjuro.jpg『團十郎復活』文藝春秋

 昨年11月、六本木のバーで顔などを殴られて重傷を負った歌舞伎俳優の市川海老蔵(33)。この件で傷害の罪に問われている伊藤リオン被告(29)の初公判が18日、東京地裁にて行われ、一時は沈静化した報道もまた再燃している。昨年12月に海老蔵が行った会見では、自身が灰皿にテキーラを入れ、元暴走族リーダーに飲ませようとしたという件については否定していた。だが初公判に証人出廷した元暴走族リーダーは、「灰皿にテキーラを入れて飲むように強要された」とあらためて証言し、海老蔵の酒癖の悪さは知人の間で有名だったということも明かした。

 被害者でありながら、数々の蛮行を暴かれ、同情どころか非難を集めている海老蔵もいささか気の毒ではある。仮にその”灰皿テキーラ”や、バーでの荒くれた振る舞いが事実だとすれば、海老蔵はかなりの暴れん坊だろう。そんな暴れん坊が将来、「市川團十郎」を襲名するのか……と心配にもなるが、歴代の市川團十郎を見てみると、破天荒な人生を送っている者は何人もいる。

 まずトップバッターにして最もインパクトのある初代團十郎。元禄時代に活躍しており、歌舞伎だけでなく学問や文芸の才能もあったという。狂言役者としても活躍していた。ところが『わたまし十二段』という舞台に佐藤忠信の役で出演中、役者の生島半六に舞台で刺殺される。享年45。生島の息子が團十郎に虐待されていた復讐という説もあるが、根拠はなく、動機は今も謎のまま。2代目は、現在に至る市川團十郎の基礎を築いた人物であるとされており、誰からも愛され絶大な人気を誇ったそうだが、3代目は、團十郎を襲名した6年後、22歳という若さで病死した。

 6代目はまたもや、襲名後9年経って、風邪をこじらせ22歳の若さで死亡。7代目は、天保の改革のあおりを受け、突如として江戸を追放された。その後は改名して大坂へ。桑名、大津、京などで旅回り芝居の舞台に立っていた。赦免によって江戸に戻された後も、気ままな暮らしが気に入ったのか、その後も何度か旅興行に出ている。2人の妻と3人の妾を持ち、子供は12人。家庭内の揉め事も多かったという。そして面長の美男子、8代目。イケメンなだけでなく親孝行な面も持ち合わせており、父親が江戸を追放された際には、蔵前の成田不動に日参して父の赦免と無事を祈っていたという。その後、舞台初日に32歳の若さで自殺した。

 9代目は、兄である8代目の自殺、養父が強盗に殺害されるなどの不幸に見舞われながらも、歌舞伎の近代化に尽力するなど数多い功績を残し「劇聖」と謳われたという。並外れた美男っぷりを誇った11代目。”海老さま”と親しまれた昭和歌舞伎の華として知られているが、戦前の評判はあまり良くなかった。当時は内気でありながら癇癪持ちという、いわゆる、扱いにくい役者であったという。芸が開花した後も、この扱いづらさは変わらず、興行初日にいきなり舞台を休んだり、別の舞台でも突然休演を申し出て周囲を困惑させた。そして12代目は現在の團十郎だ。日本だけでなく海外でも多数回の公演を行い、歌舞伎界の柱として期待されているものの、近年、白血病を発症。健康面での不安を抱えているという。

 舞台で刺殺、江戸を追放、愛人3名に子供12人のビッグダディ、養父が強盗に殺害……などなど、びっくりエピソードに事欠かない市川團十郎。今回の海老蔵を巡る騒動も、歴代の團十郎と比べれば、さほど驚くことではないのかもしれない。

市川團十郎・市川海老蔵 パリ・オペラ座公演 勧進帳・紅葉狩(DVD付)

 
ともあれ、孫の誕生が楽しみだね

amazon_associate_logo.jpg

men's Pick Up