
女被告人の裁判は、たいてい男の傍聴人が増える。年齢や容姿に応じてまたその増え方も違うのだが、この被告人の場合は、これまで見てきた中でも、かなりの人気ぶりだった。スラッとした長身にサラサラのロングヘア。勾留されているのに清潔感がある。色白のせいか、ノーメイクなのにチークをつけているようだ。ポッとピンクに染まった頬に時折涙がつたうと、報道を含めた傍聴人らは椅子から腰を浮かし、その表情を我先に見ようとしていた。また傍聴希望者も多く、傍聴券の入手は極めて困難。まるでアイドルだ……当時はよくそう思ったものである。決して派手な顔立ちではなく、どちらかというとスッピンは地味。だがなぜか彼女の一挙手一投足は人を惹き付けていた。いわゆる男にモテるタイプだろう。
三橋歌織(逮捕当時32)。彼女は夫を殺害してその遺体をバラバラにし、遺棄したとして2007年1月に逮捕された。いわゆる「セレブ妻バラバラ殺人事件」だ。初公判は同年12月20日、東京地裁で開かれた。起訴状によれば、06年12月12日早朝、自宅で就寝中の夫、Aさん(当時30)の頭をワインボトルで殴り殺害。その遺体を切断し、タクシーや台車などで新宿区内の路上や町田市内の公園に運んで遺棄した。罪状認否では「間違いありません」とその罪を認めた三橋だが、弁護人は「被告人は、被害者からDVを受けており、PTSDを発症していた。犯行当時は心神喪失、もしくは心神耗弱の状態だった」と、責任能力を争う姿勢を見せた。
この裁判では、控訴審を含め、計3回の精神鑑定が行われている。その詳細は省くが、弁護人は”DVが原因で責任能力に問題が発生し、事件が起こった”であるかのように主張した。いったいこの夫婦には何があったのか。以下、冒頭陳述で明らかになった事柄である。
2人は03年3月に結婚。が、以前から三橋には愛人がおり、Aさんと付き合い始めて一緒に暮らすまでも、生活費やマンションの家賃を出してもらっていたという。愛人としての関係は、結婚後の11月まで、相手にAさんとの結婚を打ち明けるまで続いており、それまでお金の援助も受け続けていた。
夫婦生活も、口論、つかみ合いのケンカ、そしてAさんからの暴力と、もともとケンカはあったようだが、次第にエスカレートする。そんな最中、Aさんは某外資系の不動産会社に転職。収入も増え、前途洋々に思えた。がそんな折、三橋と知人男性のメールのやり取りを発見したAさんが激高。激しい暴力を振るい、三橋は鼻の骨を骨折。シェルターに入所する事態となった。常々「離婚はしたいが、有利な条件で別れたい」と思っていた三橋。このとき離婚を決意したが、公正証書を作るだけで、実行には移さなかった。ちなみに公正証書の内容は、Aさんが暴力を振るったり、浮気をしたら離婚、その際慰謝料3600万円を払う、というものであった。
結局そのとき離婚には至らなかったが、ケンカが絶えなくなり、三橋はついに離婚を決意。公正証書の内容を活かして有利な離婚をするために、Aさんとその浮気相手の会話を録音(当時Aさんは浮気していた)。この音源を突きつけ、自分が主導権を握ったまま離婚しようという思惑で、Aさんに「話があるから会社から帰ったら話し合いをしよう」と電話で約束をする。
その電話を受けたAさん、三橋に浮気を感づかれたのではないかと察知。浮気相手にその旨を連絡、相手宅で夜明けまで過ごし、「今から帰って離婚の話をする。一緒になろうね」と言い残し、三橋の待つ家に帰宅した。
その後、予定通り話し合いを持ったが、Aさんは三橋の望む形での離婚に応じるとは言わず、決着がつかないままに。その後、眠ってしまったAさんを見ているうちに殺害を決意……という流れである。三橋は事件後、Aさんの会社からボーナスの振り込みがなかったことについて、会社に問い合わせをしている。
弁護側からの被告人質問では、Aさんからの暴力について重点的に質問が行われ、いかにヒドい暴力を受けたかということをアピール。最後に「……ご遺族に対しては申し訳なく思っています。(Aさんについては)私自身、自分の犯したことを考えると、あまりにひどいことをしてしまったので……整理がついていないというのが正直な気持ち」と、Aさんへの直接的な謝罪はしなかった。
検察側からは、三橋の供述の食い違いなどを責められ、彼女が言う、Aさんからの暴力について、疑わしいのではということをアピール。都合の悪いことについては「分からない」を連呼した。
「事件の晩の気持ち……検事さんは『怒り、悲しみ』と表現していましたが、一言では表現できません。離婚の話をするとAの暴力が始まる。あんなことやこんなことがいろいろ浮かんで来て、じっとしていられなかった。1人では太刀打ちできない。またやられてしまうという恐怖があった……」
と最終陳述でもAさんへの謝罪はなかった。この部分は、一貫していた。
判決は懲役15年。Aさんからの暴力は認定されたものの、責任能力については完全に”アリ”との判断が下された。動機が理解できるということ、殺害後にAさんを装い、遺族にメールを送っている、また捜索願を出した時に身元特定を恐れ、Aさんの胸に手術痕があるなどウソを述べたりなどの隠蔽工作を行っていることなどが根拠とされた。控訴も棄却。三橋は今年6月、上訴権を放棄し、刑は確定している。
裁判所に認定されたAさんのDV。確かに良くはないが、殺される理由にはならない。本当に命の危険を感じていたら、公正証書を作るより先に離婚をしたほうがよい。しかし、一緒にいることを選び、有利な離婚ができるチャンスをうかがっていた。三橋の”有利な離婚”へのやる気は相当なものだったのだろう。
にもかかわらず、事件の日に証拠の音源を突きつけようとした。本来ならば必要ないはずだ。その証拠をもとに弁護士を立て、離婚訴訟に臨めばよかったのである。なぜそうせず、あの夜、話し合いをしようとしたのか……。愛情が残っていたからなのか、金のためなのか。それとも女の意地なのか。
(文=高橋ユキ)
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