宇多田ヒカル事実上の”引退”の裏に米国での失敗と深い苦悩

utadathisistheone.jpg『This Is The One』

 宇多田ヒカル(27)が、来年からアーティスト活動を休止することを明らかにした。宇多田はオフィシャルサイト内のブログで、デビューからこれまでのことを振り返り、「アーティスト活動中心の生き方をし始めた15才から、成長の止まっている部分が私の中にあります。それは、人として、とても大事な部分です」と、活動休止の理由を説明した。今年いっぱいアーティストとしての活動を行った後、「人間活動」に専念するという。

 一部スポーツ紙では、宇多田のあまりのワガママさ加減にスタッフが愛想を尽かして離れて行ったこと、最近は情緒不安定な側面が際立っていたことなども報じられているが……。

 一方、宇多田ヒカルの”育ての親”とされているEMIミュージックの三宅彰プロデューサーは、宇多田本人から直接相談を受けたとスポーツ紙の取材に明かしており、いわく「15歳でデビューして一躍脚光を浴びたヒカルは、マクドナルドにも渋谷109にも行けなくなった。そして30歳が見えてきたいま、ふと自分と向き合った時、得たモノは大きかったけれど失ったモノも大きいことをあらためて感じたようです」。

 突然の活動休止宣言にファンは戸惑いを隠せない様子だが、そもそも宇多田は決して、作品を量産するタイプのアーティストではなかった。2009年には配信限定で「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」をリリースしたのみ。08年3月に発売したアルバム「HEART STATION」以降、この2年間目立った活動はなかった。

「いや、実は今年1月から2月にかけて、”Utada”名義で初の海外ツアーを行っています。とはいえ、ハワイとロス、ニューヨーク、シアトル、サンフランシスコなどほとんどが米国内。おまけに箱は1000人前後収容のライブハウスばかりで、決して大がかりなものではなかった。しかもたった1000人の箱なのに観客が集まらなかったと聞いています。その公演を最後に、米国のレコード会社との契約が切れ、新しい契約のオファーもなかった。そうした事情があって、宇多田本人も思い切って休業することを選んだようです」(音楽業界関係者)

 だが、いくら米国での活動が厳しくなったからといって、日本ではまだまだドル箱歌手。800万枚を売り上げた1stアルバムほどの勢いこそないが、これまでリリースされた5枚のアルバムはすべてミリオンヒットを記録しており、国内での人気は衰えていない。これまで通りゆっくりとしたペースで、国内でのびのびと創作活動を続けても良さそうなものだが……。

「昨年3月に発売された書き下ろしの著書『点』(EMIミュージック)で、宇多田は幼少期から奔放な両親に翻弄され続けた結果、自分の内側の世界にこもるようになったことや、元夫である紀里谷和明氏との結婚生活も、いつしか感情を押し殺した苦しいものになってしまったことなどを綴っています。メディア出演の際はいつも明るく、気取らない性格のように見られることも多い宇多田ですが、実際は根暗。音楽で売れて、お金持ちになって、自由に振る舞っているように見えていたかもしれませんが、実は彼女なりに抑圧された日々だったのかもしれません。音楽活動を続ける以上、両親や周囲の人間からのプレッシャーから逃れることもできない。音楽活動から身を引くことで、抑圧された生活から解放されたいということでは。ブログでは『いつかまた戻ってくる』と含みを持たせていますが、事実上の引退宣言ととらえてもいいでしょう」(前同)

 歌姫は、楽曲制作のプレッシャーや周囲との軋轢によって、徐々に疲労を蓄積していたのだろう。7月に更新したブログ記事で、高校の同窓会の案内が来たと記した宇多田。高校卒業からの10年を、次のように振り返っている。

なんかもう、手探りで、好奇心の赴くままあっちこっち迷走して、全然自分を大事にしないで、人と関わり合うってどういうことなのか、周りの人のことを大事にするってどういうことなのか学ばないまま、楽しいこともたくさんしたけど結局無責任で、誰もしかってくれない、仕事はうまく行っても実際は破滅街道まっしぐら・・・みたいな
うお?!それめっちゃ青春やん!!(ち、ちがう?(笑))
ずいぶん長い青春だな(笑)っていうか子どものままだったんだな。

思えば、この時すでに活動休止の意志は固まっていたのかもしれない。

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