【事件簿】良家の令嬢が夜の女になった経緯

2015rejoTP.jpg※イメージ画像:『令嬢人形』双葉社

 明治28年(1895)8月頃のこと、東京・東信濃町(現・信濃町)のすし店兼銘酒店でお楽という19歳の女性が働いていた。

 ちなみに、銘酒屋または銘酒店とは、字面だけ一見すると居酒屋かバーのようなものを連想しがちであるが、れっきとした風俗店である。すなわち、表向きは酒を飲ませる店ということにしておいて、実際には売春が主な営業内容となっていた。つまり、客は酒を飲むためにくるわけではない。店内の女性を相手に、店の2階やあるいは別の建物の一室などでひと時の楽しみを得るわけである。

 この銘酒屋だが、一部の資料には明治30年代から大正時代にかけて成立したと説明しているものもあるが、実際にはすでに明治18年頃にはすでに営業していたようだ。その後、大正期に入ると、当時の風潮からその数が増加。銘酒屋といえば、私娼窟の代名詞のようになった。吉田秀弘氏の『日本売春史・考』には、大正5年には東京に841軒の銘酒屋が営業していたと紹介している。

 当然、その彼女もそういう仕事をしていた。

 ところがこのお楽さん、しぐさや立ち居振る舞い、言葉遣いなどあらゆる点で、どこからどう見てもどこぞの良家のお嬢様としか見えない。

 この銘酒店というのは、遊郭などに比べるとかなり格が落ちるものだったらしく、働く女性もあまり品があるとは言い難いケースが多かったようだ。そうした状況のなかだったため、お楽さんはことさら目立ったのだろう。

 そんな品のあるお楽さんのこと、たちまち人気者となり、彼女目当ての客も多く、いつの間にか彼女は「令嬢娘」などと呼ばれるようになった。

 この手の営業は目立ち過ぎると、警察が黙っていない。ある日、ついに彼女は売春の容疑で交流され、銘酒屋も罰金刑の上に営業停止を命じられてしまった。

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