緊急事態宣言下の新宿 ~不夜城が眠りについた惜春~【コロナ禍の歌舞伎町・新大久保:激写リポート】

【緊急寄稿】徹底した現場取材をモットーとし、全国の歓楽街を完全踏破した伝説の雑誌「俺の旅」元編集長・生駒明氏が、コロナ禍の新宿~新大久保を激写リポート。不夜城・新宿が眠りについた惜春――。

 

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 新宿が激動している。コロナ騒動の前まであれほどいた人が減り、一時はほぼ誰もいなくなった。それはまるで突然の大波に流されたようであった。そして6月に入り、ようやく人の姿が復活してきた。

 4月7日、東京都は緊急事態宣言を発令した。5月6日までの1ヵ月間、外出自粛が強く要請され、都内のあらゆる場所から人の姿が消えていった。新宿も同様だった。

 私は4月中旬から6月末の現在まで、ほぼ毎日、新宿エリアに取材に出た。20年近く新宿区内の新大久保に住んでおり、新宿エリアは隅々まで知り尽くした街である。連日、新大久保の大久保通りを練り歩き、時折、歌舞伎町や新宿駅周辺に繰り出した。5月に入ると高田馬場にまで足を運ぶようになった。

 

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 気分は「戦場カメラマン」だった。「コロナ戦争」の現場を命がけでリポートしに行ったのだ。一番怖かったのは、4月14日だった。この日の都内の新規感染者は159名。この3日後に1日の最大数の206名と、感染拡大がピークを迎えている時期だった。

 当日、10年ほど前にフィリピンのマニラに取材に行った時のことを思い出した。貧民窟を怖がらずに突き進んでいくカメラマンの勇敢な姿勢が脳裏をかすめた。そして、若い頃に先輩から習った「記者魂」を燃やして、現場に飛び込んでいった。「ウイルス」という目に見えない鉄砲の玉を除けながらであった。

 この日の昼間、歌舞伎町はほぼ誰もいなかった。風俗店は軒並み休業していた。老舗のソープもヘルスも、のぞき部屋もストリップ劇場もシャッターを下ろしていた。一部のピンサロや手コキヘルスは営業していたが、人の姿は皆無だった。バッティングセンターもゴールデン街のバーも、思い出横丁の飲食店も休みだった。新宿はまさに「死んだ街」「死にかけた街」となっていた。

 密閉、密接、密集のいわゆる「3密」を避ければ大丈夫、と自分に言い聞かせながら、街を練り歩いた。街に着くと、人がいないので「3密」など起こりようがないと分かった。逆に安全じゃないかと思った。

 GW中も歌舞伎町は閑散としていた。ほぼ誰もいない。恐ろしいくらいであった。20年間、歌舞伎町を見続けているが、こんな光景は初めて見た。なんだか神隠しにあったようだった。

 一番街通りも、セントラル通りも、東通りも、花道通りも、区役所通りも、とにかく人の姿がない。人だけではない。車の姿さえもなかった。歌舞伎町は「眠っていた」のである。「24時間眠らない街」「東洋一の不夜城」が、この時ばかりはグッスリとお休みしていた。

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