【平成風俗史】バブル到来~新規風俗店の急増に湧く夜の街~

 風俗なのに挿入はNG、挿入NGなんだけどOKな店もある? という外国人には理解できない独自の進化を遂げたニッポンの“ガラパゴス風俗”。

 その歴史を、平成から令和に変わる“日本人にとって歴史の狭間”となる2019年のゴールデンウィークに振り返る短期集中連載!

<注>※歴史には諸説あり、ここに書かれていることがすべて事実とは限らない。


第6回:バブル到来~新規風俗店の急増に湧く夜の街~

 

昭和時代まではソープランドがあった大阪・兎我野町付近の風俗街。


 昭和60年に風営法が改正され、やっと開花したニッポンの風俗が一気に縮小してしまうのでは…と思われたが、ここで神風が吹く。昭和61年、バブル景気の到来である。株価や不動産価格がみるみる上がり、夜の街でも札ビラが飛び交ったのだ。

 しかし、神風に吹かれる業種もあれば、向かい風となっている風俗もあった。それは、ニッポンの風俗を牽引してきたソープランドである。昭和62年1月、日本で初めてのエイズ患者が出たのだ。

 当時、エイズは不治の病とされていたため、1万円の格安ソープでさえできた生プレイの快感が、今度は恐怖となって降り注いだ。このエイズ事件以降、ソープランド業界は暗黒の時代に突入していった。

 逆に、本番のないファッションヘルスは人気沸騰中で、新たにソープランドのマットプレイ中心の「マットヘルス」ができたのもこの頃だった。

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