【平成風俗史】終戦から売春防止法設立まで~ガラパゴス風俗誕生は終戦直後だった⁉︎

 風俗なのに挿入はNG、挿入NGなんだけどOKな店もある? という外国人には理解できない独自の進化を遂げたニッポンの“ガラパゴス風俗”。

 その歴史を、平成から令和に変わる“日本人にとって歴史の狭間”となる2019年のゴールデンウィークに振り返る短期集中連載!


<注>※歴史には諸説あり、ここに書かれていることがすべて事実とは限らない。



■第1回:終戦から売春防止法設立まで~ガラパゴス風俗誕生は終戦直後だった⁉︎


 ソープランドにピンサロ、ファッションヘルスにマットヘルス、性感ヘルス、デリヘル、イメクラ、オナクラ、手コキ、エステ、SM…。大雑把な違いは知っていても、どこがどう違うのか、詳細な遊び方を聞かれると困ってしまうほど、ニッポンの風俗はバラエティに富んでいる。これほどまで多種多様な風俗遊びができる国は海外にはない。そう、ニッポンは

風俗大国なのだ!


 そんなニッポンの近代風俗の始まりは、終戦まで遡ることになる。

 終戦の翌年である昭和21年(1946年)、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、人権的見地から公娼制度廃止の方針が示された。ただし、廃娼イコール即売春禁止とはならず、公娼は廃止しても私娼は存続をみとめるという、曖昧な表明となった。この時点ですでに風俗のガラパゴス化は始まっていたようだ。

 これにより、それまで存在した遊郭は形式上は廃止となったが、「特殊飲食店(特飲店)」での売春は認めるという決定により、以降「赤線」と呼ばれる風俗街が出来上がることになった。

 進駐軍が日本に上陸してくると、占領下の日本国政府は、進駐軍兵士たちによる日本人婦女子への暴行を抑止する目的で、「RAA(特殊慰安施設協会)」と呼ばれる外国人兵士専用の慰安所、つまり風俗街を作った。しかし、GHQはすぐにRAAをオフリミッツ(立ち入り禁止)とした。

 

1945-46年頃のRAA安浦ハウスの様子(出展 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yasuura_House.jpg)

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