【事件簿】良家の令嬢が夜の女になった経緯


 しかし、この店の主人がなかなかの豪傑で、銘酒屋をきっぱりと見限ってすし店専業に精を出したところ、これがますます繁盛したという。それも、単に主人の手腕だけではなく、やはりお楽さんが影響していたらしい。おそらく、警察から戻った彼女がすし店を手伝うようになって、彼女目当ての客がまた増えたのではあるまいか。記事にも彼女のことを、「今この店の命と頼む」と紹介している。

 さて、このお楽さんであるが、実はやはり名のある家の娘さんだった。

 彼女の家はかつて江戸幕府に仕える武家であり、明治19年まで四谷区内に土地や屋敷を構えて何一つ不自由ない暮らしをていた。

 ところが、この年に父が病死。母親のお倉が家を仕切ることになった。

 このお倉という奥方、あまり頭がよくない上に世間知らずだったことから、悲劇は始まる。

 お倉は家族が減った寂しさからか、屋敷の奥にある座敷を金森なる書生に間貸しした。この時、まだ40歳だったお倉は、金森とすぐに男女の関係になってしまう。そして、お倉は次第に金品を金森に渡してしまうようになる。最初は日々の小遣い程度や着る物くらいだったものが、すぐに金額が大きくなっていった。

 そしてついに、金森の口車に乗せられるまま家屋敷を売り払い、得た現金450円をすべて金森に渡してしまった。現在の価値に直せば、数百万円はくだらない大金である。それを赤の他人に渡してしまったわけである。

 お倉もさすがにこの時点でだまされたことに気づいたが、あと祭りである。金森に金を返してくれと迫ったが、いっこうに聞く耳を持たない。財産すべてを失ったお倉は、仕方なく荒木町の知り合いのところへと身を移した。

 だが、金森の悪行はこれだけではなかった。この男、母親だけでなく娘のお楽にも手を出していた。18歳までお嬢様育ちでいた彼女が、チンピラ学生にもてあそばれ、世間知らずのバカな母親のために家も財産も失うこととなり、その失望はどれほどのことだったろうか。

 彼女も母親同様に家を失ったものの、愚かな母についていく気はなかった。

 そこに金森はさらに目をつけたのだろう。彼女を下谷のある置屋に芸者として30円で売ってしまったのである。

 しかし、お楽さんはもともと口数が少なく暗い感じだったため、芸者には向いていなかった。そのため、仕方なく銘酒屋に勤めることとなった、というのが事の次第である。

 世間知らずの奥様とお嬢様が、男に体と心をもてあそばれて身ぐるみはがれて捨てられるという、そんなエピソードである。

 まだ週刊誌もない時代、『朝日』『毎日』といった大新聞にはこうした記事が頻繁に載っている。まさに「ネタ」の宝庫といっても過言ではない。

 

20151105RJ.jpg『東京朝日新聞』明治28年8月29日

(文=橋本玉泉)

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