第二回 中世・近世編

【日本の風俗発祥に迫る】 幕府公認のフーゾク店の登場


 店舗型ヘルスが発展する一方で、全国を旅するデリヘル型の風俗嬢も登場した。その代表的な存在が傀儡女(くぐつめ)である。傀儡女は本来、諸国を旅して芸能を生業にする集団。街道の駅舎や宿屋を訪れ、人形を器用に操って宴席を盛り上げ、歌を唄って日銭を稼いでいたのだ。そのついでに売春もしていたと考えられている。ちなみに、傀儡女に代表される芸事は、のちに猿楽や人形浄瑠璃にも大きな影響を与えた。日本の古典芸能の源流に売春は欠かせない存在だったのである。私見ではあるが「女遊びは芸の肥やし」といわれるのも、こうした時代背景があったからではないだろうか。

 少々話が逸れてしまったので、本題に戻そう。

 鎌倉時代から室町時代にかけて「遊女屋」が大きく発展したため、立ちんぼのような“私娼”も数多くいたことは想像に難くない。いわば風俗の無法地帯。さすがにマズイと思ったのか、室町幕府は傾城局という遊女の管理機関を設置。売春は公的に認められ、税金をかけられることとなった。簡単にいえば、政府公認風俗店の誕生である。

 こうした流れは、豊臣政権で色濃く受け継がれた。自身もかなりの好色男として有名だった豊臣秀吉は“私娼”を取り締まる一方で、1585(天正13)年には大阪・道頓堀で初の遊郭を設置。続く1589(天正17)年には京都の二条柳町にも造られた。これは「人心鎮撫の策」といわれ、戦乱による国民の溜飲を下げる目的があったとされている。

 武家の統治によって、売春は神事から一般人が楽しむ風俗へ変化を遂げた。現代風俗店の原点といっても過言ではないだろう。日本の風俗はいつの時代も男性の心を癒すものだったことは、豊臣秀吉の「人心鎮撫の策」からも明白だ。

 江戸時代になると風俗はさらに大きな発展へと向かうが、それはまた次回。遊郭の登場が風俗嬢にもたらした影響を探っていこう。
(文=中河原みゆき)

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