政府要人が異例の協議を行うほど性感染症が蔓延した明治時代

0130seibyou_fla.jpg※イメージ画像:Thinkstockより

 人類を苦しめ続けている事象のひとつに伝染病がある。そのなかでも、性感染症はとくに厄介だ。エイズや梅毒などのように重篤な状態にまで進行する危険な病気があるにもかかわらず、感染していることがわかりにくかったり、あるいは世間の目などを気にして感染者自身がその事実を隠しがちになったりするからである。その結果、さらに感染が拡散してしまう危険性がとても高い。

 日本でもしばしば、性感染症の流行に悩んだ時期があった。

 そのひとつ、明治時代にも無視できないほど性感染症が蔓延したことがあったようだ。そのために、国のトップが協議するほどになったという。

 明治42年(1909)8月16日の『東京朝日新聞』には、「花柳病全滅策」と題する小さな記事が掲載されている。花柳病とは、性感染症の当時の一般的な呼称である。

 その頃、梅毒や淋病その他の性感染症は決定的な治療法が確立されていなかった。しかも、世間体などを気にして感染を隠すケースがはなはだ多かったため、感染者本人の重症化と同時に感染の流行が広がる結果となった。

 その状況を、記事では「社会上下各級を通じて之に罹らざるなく甚だしきは女学生にまで伝播」というから、それこそまさに性感染症大流行という事態になっていたわけである。

 ちなみに、明治時代の男女は貞操観念が強かったとか、性的に慎ましかったとか思っている人が少なくないようだが、それが事実かどうかは疑わしい。当時の新聞や雑誌、民俗学関係の資料その他を見ると、男女関係の事件や出来事についての記述がいくらでも見つかる。それらを読み進めると、戦前の日本でとくに性的なことに関して禁欲的だったとかいうことは感じられない。

 ともかく、そうした性感染症蔓延が大きな社会問題となっていた。そして、ついに政府重鎮までもがそのことに注目せざるを得なくなったということらしい。

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