恩人の死で追い詰められた酒井法子「もうAVに反対する者はいない」

noripi0524main.jpg※イメージ画像:『碧空の狂詩曲
~お市の方外伝~』
ワニブックス

 すい臓がんで闘病中だった大手芸能プロダクション「サンミュージック」の創始者で会長の相澤秀禎(本名・相澤與四郎)さんが今月23日、都内の病院で死去した。83歳だった。

 相澤さんといえば、1968年に森田健作(現・千葉県知事)を第1号タレントとしてサンミュージックプロダクションを設立し、独自のスカウト眼とマネジメント手腕で桜田淳子、松田聖子、岡田有希子、早見優、ベッキーらを輩出。その中で最も相澤さんに世話になったのが、覚せい剤事件から復帰した酒井法子だ。

 普通なら、あれほどの事件を起こせば放りだされて当然。だが、相澤会長は酒井の失踪中から彼女の身を案じ、身柄拘束後も真摯にサポートを続けた。酒井に課されたCM契約違約金などの損害賠償約5億円を肩代わりするという決断も、大金にもかかわらず即決だったという。その甲斐あって酒井は昨年12月に舞台で芸能界復帰を果たしたが、世話になったサンミュージックに出戻るのかと思いきや、同社元社員の廣瀬洋二郎氏が代表を務めるオフィス・ニグンニイバに所属が決定。酒井の復帰にサンミュージックは一切絡んでおらず、移籍が決まるまで挨拶もロクになかったといわれ、古巣を裏切るかのような行為だった。

「それでも相澤さんは酒井のことを気にかけ、5億円を取り立てるためにヌードやAV出演を暗に強要することもできたが、彼女を無理に脱がせるようなことはしなかった。一度面倒を見たタレントは娘のように可愛がる相澤さんらしい。可愛がりすぎてタレントのワガママを許してしまうような面もありましたが、酒井にとっては何があっても自分を案じてくれる父親のような存在だった」(芸能プロ関係者)

 酒井は昨年5月にも、恩人の建設会社会長・富永保雄さん(享年74)を失っている。富永さんは事件直後に逃走した酒井に車と運転手を用意したとされ、身を隠すためのマンションも提供。さらに保釈後の記者会見や手記出版の窓口になるなど、公私にわたって彼女の面倒を見てきた人物だった。7月放送のドラマ『黒い報告書 男と女の事件ファイル3 誤解』(BSジャパン)で5年ぶりにテレビドラマ復帰するという明るいニュースもあった酒井だが、2人の恩人を失ったことで今まで以上に厳しい立場に置かれるという。

「本人は女優業に意欲を見せていますが、どうしても覚せい剤事件のイメージが抜けず、ギャラのいい大作映画や地上波ドラマはしばらく厳しい。相澤会長や富永会長が後ろ盾になっていた時なら、ゆっくりとでも仕事を続けながら借金を返済していけばよかったが、その二人がいなくなった今は別。酒井で一儲けしようと企んでいたヤカラたちを食い止めていた二人がいなくなったことで、またヌードやAVの話が持ち上がってくる。酒井が復帰した舞台も、主催したプロデューサーは出会い系サイトやAV関係の仕事をしていた人物。酒井の周りには、いまだに彼女を脱がせて儲けようとする連中がむらがっている」(芸能関係者)

 酒井が復帰した舞台は、チケット販売不振で客が入らず、ギャラ未払い騒動まで起きていると一部で伝えられている。舞台で客を呼べず、テレビや映画でも稼げないとしたら、本当にヌードかAVしか道は残っていないだろう。

「相澤さんの息子でサンミュージック社長の正久氏は、父親ほど酒井に固執していない。酒井を脱がせることに反対している有力関係者は、もういなくなったといっていいでしょう。しかし、最大のネックは子どもの存在。酒井を口説き落とすための最大の障壁になっている。逆に言えば、酒井本人が吹っ切れさえすれば一気に話は進みます」(前同)

 復帰が本格化してきた現状とは裏腹に、相次ぐ恩人の死によって追い詰められている酒井。一肌脱がねばならない時が本当にきてしまうだろうか。
(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops

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