「ゴールデンの冠番組なんかより世界を目指した」伝説の女芸人・野沢直子

nozawa1005.jpg※イメージ画像:野沢直子『スーパーベスト』 ビクターエンタテインメント

 毎年、夏の間だけ日本に戻ってきては、テレビバラエティで大暴れする一人の女芸人がいる。野沢直子である。芸歴29年のベテランで、女芸人の走りともいえる野沢。1980年代から1990年代にかけて一世を風靡した彼女の全盛期を知らない読者も多いことだろう。そんな彼女が、先日、『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』(テレビ朝日系)に出演。自身の半生を熱く語り、改めてその驚愕の人生で人々を魅了した。

 1990年前後、伝説のバラティ番組『夢で逢えたら』(フジテレビ系)で、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンと共演し、ほかにも6~7本のレギュラー番組を持つなど、自他共に認める一流タレントだった野沢。そんな彼女がすべての芸能活動を休止することを宣言したのは1991年の3月。誰もが耳を疑った彼女の決断だったが、その後すべてのレギュラー番組を降板し、野沢は突然アメリカへ飛んだ。彼女曰く「何のツテもなく」「ドラマとかでは大体ニューヨーク行くでしょ?」という渡米。その理由について、野沢は当時を振り返りながら、「ゴールデンの冠番組なんかより、私は世界を目指した」と笑いながら語る。

 単身アメリカへ乗り込んだ彼女は、ストリートでサルのモノマネをするなど大道芸人として活動。時には、「ゲロを吐く人形で腹話術をして、ゲロを吐きかけられる」という芸でコメディハウスに殴り込みをかけ爆笑をさらったというが、英語もロクにできない状態では、アメリカで売れるのは難しい。まったく芽が出ないまま月日を過ごし、いつの間にか現地で知り合ったギタリストと結婚した。一男二女をもうけ、子育てが落ちついた2005年辺りから日本の芸能界に出稼ぎ復帰。ここ数年は毎年の夏の風物詩として、日本のバラエティ界をかき乱している。

 テレビで野沢を見ると、まるで1980年代のタレントが21世紀のバラエティに出演しているような、精巧なCGを見ている感覚に襲われる。特に今のバラエティは内輪ネタや芸人のトークが主流であるため、視聴者と番組の間に芽生えた絆のようなものが笑いの源。すでに視聴者との絆が20年以上前に絶たれている野沢のような異分子は、今のバラエティ番組にとって違和感を生みかねない。しかしそれでも彼女は、コンスタントに番組に出演し、しっかりと笑いを生む。

 1980年代、女芸人の走りとして活躍していた野沢と、今の野沢は何も変わらない。きっと、単身渡米しないで、90年代も2000年代も日本の芸能界にい続けていたら、彼女は変わってしまっただろう。そして、いつかテレビから姿を消していたはずだ。だが、彼女は何の根拠もなく「世界を目指し」アメリカに行き、「7年経ってようやくアメリカ人って、つまんねぇじゃん」ということに気づき、今こうして定期的に日本に戻ってきては自分の破天荒な過去を笑い飛ばしながら喋り、お茶の間を沸かす。

 どんなに贔屓目に見ても、決してアメリカで成功したとは言えない野沢。しかしそんなことは彼女には関係ない。彼女にしてみれば、やりたいことをやるということだけがすべてのモチベーションなのだ。「失敗したらどうなるか」など、まったく考えない。そんな彼女は、生きること自体が芸になり、ネタになっている。だから彼女はタレントとしての価値を失わないでいられるのだ。もちろん吉本の後ろ盾があるとか、ダウンタウンと仲がいいなどという理由が、彼女のテレビ出演を後押ししているのは間違いない。しかしだからといって、それだけでテレビに出られるほど今のバラエティ界は甘くない。やはり、彼女の魅力というものが圧倒的なのだ。そして、伝説の女芸人・野沢直子の魅力とは「変わらない」ということに尽きる。きっと来年も再来年も、10年後も、1980年代の風をテレビバラエティに吹き込んでくれることだろう。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
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