紳助引退事件のキーマン・渡辺二郎の大阪ケンカ最強伝説

 いまだ確かな真相が見えず、メディアを騒がせ続けている島田紳助の突然の引退劇。騒動のキーマンとなっているのは、紳助と問題のメールを交わしていた元プロボクシング世界王者・渡辺二郎だ。詐欺未遂事件の裁判で上告中の渡辺は、紳助と暴力団をつなぐパイプ役となった。

 岡山県矢掛町で生まれた渡辺は、一家で引っ越した大阪で育ち、大学時代に日本拳法部で世界選手権4位に入るなど活躍した後に、プロボクサーとなった。大学卒業後に本格的にボクシングを始めた上に24歳でプロデビューというハンデがありながら、スーパーフライ級でWBA、WBCの両王座を獲得。世界タイトルマッチ12連勝の記録は、具志堅用高の14連勝に次ぐ国内第2位となっており、歴代最強との呼び声もある。

 引退後は解説者やタレント業などをしていたが、1995年に恐喝未遂事件で逮捕、さらに殺人事件で使用された自動小銃の売買に絡んだ銃刀法違反でも逮捕され服役し、日本ボクシング界から永久追放。出所後は元俳優・羽賀研二と共に恐喝未遂事件で逮捕され、その一連の事件の中で山口組系暴力団・極心連合会の相談役を務めていることが明らかとなった。

 ボクシング業界は暴力団とのつながりが強いといわれているが、さすがに元世界王者が暴力団の相談役になったというケースは前例がない。この異例の”転身”を遂げた背景には、渡辺の大阪時代の「不良伝説」が関係しているようだ。

「大阪で伝説のワルといえば、”浪速のロッキー”こと赤井英和などのイメージが強いですが、実際に大阪のヤクザや不良の間で伝説として語られているのは、渡辺二郎とシュートボクシングの創始者・シーザー武志です。ふたりとも高校時代から、関西の不良の間では名前を知らない者はいない存在だった。渡辺は自分からケンカを仕掛けることはなかったようですが、いったんケンカが始まったら周囲が引いてしまうほど一瞬で相手をボコボコにしてしまう。負け知らずでとにかく強く、その名前はヤクザ業界にまでとどろいていた。関西ヤンキー界のトップに立っていたシーザーですら、当時から一目置いていたほどです」(事情通)

 大阪で伝説の不良としてヤクザにも名を知られていた渡辺が、ボクシング界で闇組織と懇意になり、引退後に暴力団の相談役を務めるまでになったという過程は、確かに違和感がない。高校時代からアウトローの世界と近しかった渡辺にとって、極道の世界は水が合ったともいえるのかもしれない。

 悪いイメージばかりが付きまとう渡辺だが、彼をよく知る関係者は「真摯で義理堅い性格」と口をそろえる。

「ギャラ条件の悪いテレビ番組や映画でも、グチを言わずに快く出演してくれることで有名でした。恩義のある相手に対しては、金にならないことでも義理を通し続ける。紳助があれだけ渡辺を慕っていたのも、闇社会とのパイプ役というだけでなく、その性格を信頼していたからでしょう。逮捕された事件でも、世間に顔を知られている人間が拳銃の非合法取引や恐喝に関与すれば、逮捕されやすいというのは誰でも分かる。それでも『二郎さん、お願いします』と頼まれると、イヤとは言えない性分なんでしょうね」(芸能関係者)

 義理堅いと言えば聞こえはいいが、結局は社会を食い物にする暴力団関係者だ。元世界王者から極道の世界に転落し、その性格やケンカの強さが犯罪に生かされてしまったとすれば、非常に残念なことである。
(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops

『日本ボクシング不滅の激闘史』

 
ボクサーとしては偉大でした

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