浜田もアカン!? トラブル回避をヤクザに頼む芸能人

hamadamasatosi0905.jpg※画像はDVD『検事・鬼島平八郎』より

 島田紳助の電撃引退から2週間。芸能人とヤクザとのただならぬ関係が日々報じられている中、5日発売の「週刊現代」(講談社)が「紳助に頼まれて処理したこと、紳助邸でのバーベキューパーティ、そして浜田のこと」というスクープ記事を掲載。山口組系元幹部への直接インタビューを敢行し、吉本と暴力団との深い関係を暴露している。

 同誌のインタビューに答えているのは元山口組山健組本部長の片岡昭生。紳助引退騒動の要因のひとつとなった、右翼の抗議を抑えた人物のひとりである。記事の中で、片岡は十数年前、大阪府にあった島田紳助邸に招待されたことを語る。このとき紳助は来客をバーベキューパーティでもてなした。もちろんこれには右翼団体の抗議を抑えてくれた片岡に対するお礼の意味があったという。

「もともと極心の会長は吉本が好きや。お笑いが。紳助と極心の会長の関係を示す写真や手紙があるということがマスコミで報じられてますが、身近におったらわかる。あれ、嘘やおまへんわ。事実やと思う。迂闊いうより、(会長は吉本が)好きやから」(「週刊現代」9月17日号)
 
 同誌インタビューの中で片岡が明かすのは、吉本とヤクザ組織の間で当たり前のように続いていた関係。先日当メンズサイゾーが、「天下を獲った吉本興業と山口組」として記事に起こしているが、まさに片岡の話は100年前からの蜜月関係がつい最近まで続いていたことを証明している。そしてさらに片岡は、ダウンタウンの浜田雅功が引き起こしたトラブルを例に挙げ、吉本と暴力団との組織的な関わりをこう話す。

「フジテレビの番組で浜ちゃんが何か言うて右翼から抗議があったことを、サム・エンタープライズの盛田正敏から聞いた。わしは前から盛田とはいろんな面で仕事をしてきました。うちの若い衆で右翼に関係していたのがおったから、その人間に『話をつけてくれ』と言うて東京に行かせました。それで騒ぎはピシャッと終わった」(前出)

 片岡の話す「フジテレビの番組」とは『HEY!HEY!HEY!』のこと。盛田とは、イベント会社・サム・エンタープライズの社長で、右翼関係者とのつながりが深いとされる人物。そして片岡の言う「何か」とは、2000年6月に放送された番組の中で、浜田が放った「倉木麻衣は宇多田ヒカルのパクリ」発言だとウワサされ、このことをきっかけに、フジテレビ前に街宣車が押しかける事態へと発展した。

 しかし事態は2週間あまりで終息。片岡は、当時の吉本の社長(故・林裕章)が盛田と話をつけたからだと言う。この件に関し吉本側は「故人のことであり、詳細はわからない」とコメント。豪放磊落で自由奔放な人柄で知られている林について、同誌は、「いろんな処理を暴力団関係者に頼ん」でいたと説明している。

 浜田と紳助のケースは、その原因が同じく本人の発言にあるとは言え、まったくの別物と言える。つまり誰がトラブルの火消し役を担ったかということだ。紳助の場合、それは本人だった。しかし浜田の場合は当時の社長だった。このことは浜田というタレントの潔白さを証明しているとも言えるが、企業体質として吉本という組織に暴力団の影がつきまとっていることを示している。そしてそんな風土の中にいたからこそ、島田紳助というタレントは、長年にわたってヤクザとの付き合いをやめなかったのだろう。今回掲載された「週刊現代」の記事では、ダウンタウン浜田と暴力団が直接関わり合っていないことが分かったが、吉本と暴力団の関係が深く長いものであったことがはっきりした。そんな中で取り沙汰された暴力団の間接的な関係は、ダウンタウン浜田というビッグネームに今後どんな影響を与えるのだろうか。下手なイメージがついてしまえば、いくら浜田とは言え無傷ではいられないかもしれない。

(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
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浜田ぁ、アウト!?

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