ネトウヨなんかいない!? フジテレビ抗議デモの記事を書いた記者への批判

 先日、私が当メンズサイゾーに寄稿した「モテウヨ」に関する記事について、自分のブログなどへ多数の批判をいただいた。2ちゃんねるなどでもスレッドが立ち、私への「誰だこいつ?」とか「売名野郎は死ね」などのコメントを拝見した。それらの意見に関して反論するつもりはない。少しでも話題になったことに感謝したいくらいだ。ただ、その後自分なりに思考が進んだのでこの場を借りたいと思う。

 書き込み掲示板での私への批判の多くは、「モテるとかモテない」という次元の低いレベルでものを語るなというものだった。そんなことを基準にするから、さもしいと言うのだ。これに関して、私はモテるかモテないかということが低次元の問題だとは思っていない。と言うより、これほど大事な問題はないだろう。自分が好意を抱く相手に好かれるほど幸せなことはないのだから。そして、ネトウヨに付きまとうネガティブなイメージも、当事者が他人からモテるように心がければ、いつの日かそのネガティブなイメージも払拭できるのではないかと考え、記事を書いたわけだ。しかし、その後のコメントでは、なぜか「こいつはモテるのか?」という書き込みが散見し、「峯尾の嫁の写真求む」ということに発展していく。私がモテるかどうかが問題にされることは、まったくの論外であろうし、また私の妻がどんな女性かなど、どこに関係があるのだろうか。いちおう断っておくが、私はそこそこモテるタイプだし、妻は松下奈緒似の美女である。

 さて、私への主な批判に関して更に多かったのは、韓流偏向放送をするフジテレビに対して抗議活動を行った人々をひとくくりにネトウヨとしてしまったことにあるようだ。この意見に対し私は率直に非を認めたい。そして私が責められるべきは、「ネトウヨ」や「高岡」というセンセーショナルな言葉を安易に使用してしまった点だろう。その安易さが当事者である人々をむやみに傷つけてしまったことは反省したい。

「フジテレビの偏重放送への違和感は誰もが感じている」「抗議活動を起こした人々をネトウヨと決め付けるのはただのレッテル張り」「差別主義決定」とコメントを書く彼らは自らを一般人と称する。それはそれできっとそうなのだろう。そこに異論はない。しかし彼らの言葉の中にはひどく保守的なものも多く、私を「バカサヨ」と呼び、「帰化人」と決め付けるものもある。そんな人々は果たしてどんな思想の持ち主だというのだろうか。

 世の中に流布する「ネトウヨ」という言葉の定義はさまざまにある。ひと言でネトウヨを説明するのは難しい。実は私もそんなネトウヨに関してあまりはっきりとした定義を持ち合わせていなかった。その点も私が批判の対象となる要素のひとつだったわけだ。そんなネトウヨに関して、社会学者の鈴木謙介は、「右翼というよりは『左翼嫌い』だ。より正確に言えば、『マスコミに流通する言葉が優等生的な言説ばかりであることにいらだっている』集団である」と定義する。つまり、ネトウヨとは、世の中全体の偏向に敏感に反応し、それを正そうと働きかける人々のことと言える。60年代に世界中で巻き起こった学生デモも、言わば急激に世の中が資本主義社会に傾くことへの若者たちの敏感な反応であり、反発だったわけだ。基本的にそこに信念や思想はない。あるのは、得体の知れない力が世の中を動かしていることへの反発と違和感だ。それを元に抗議活動を起こしているわけである。

 高岡蒼甫をきっかけに起こったフジテレビへの抗議活動も、この反発と違和感から成り立っている。それはフジテレビというテレビ局が巨大な影響力で世の中を動かすことができるからだ。そんなテレビ局が何かに偏った放送をしていいはずはないというのが彼らの理屈だ。敏感な危機感に根ざしたまっとうな主張と言えるだろう。彼らが自らを一般人と称するのは、そういった危機感を元に行動を起こしているからに他ならない。だから彼らは自分たちをネトウヨと一緒くたにされることを嫌う。そしてそれは時にネトウヨも真っ青な激しいネトウヨ批判へとつながってもしまう。

 人は気分に任せて言葉を発してしまうことがある。WBC時でのイチローの反韓とも取れる発言などその一例と言えるだろう。ただ、そんなイチローも普段から韓国を毛嫌いしているとは思えない。ネトウヨというのもそれと同じなのではないか。あるきっかけを与えられると(フジテレビの「韓日」表記問題など)、その瞬間、偏向放送批判を飛び越えて、一瞬激しく右傾化してしまうことがある。その瞬間がネトウヨと呼ばれるのではないか。だからネトウヨには実態がない。定義するのが困難というのも、発信者が自覚していないのだから当然といえる。そして、そんな気分の高揚から一瞬激しい言葉を発してしまうというのも一般の人々の正常な反応だ。サッカーの日韓戦で、遠藤が悪質なファールを受けたら「なにやってんだ! この韓国人!」と叫ぶのは、別に右翼でもなんでもない。しかし、マスコミは、センセーショナルでタイトルに向いているから、抗議をする人々をネトウヨとひとまとめにする。これは確かに問題だ。マスコミの片隅で活動するひとりとして、今回の批判は大変勉強になった。まだまだ学ぶことは多いだろうが、今後も強く批判してもらいたい。

(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

『ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論』

 
ネトウヨの敵と言えば一時期この人でした

amazon_associate_logo.jpg

men's Pick Up