【連載】本多圭のオトコとオンナの芸能恥話

神田沙也加が”生み捨て親”聖子の尻ぬぐい!? 

kandasayaka0422.jpg※画像は『LIBERTY』/ポニーキャニオンより

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、芸能界の裏側に横たわるオトコとオンナの深い業を掘り起こします。

 松田聖子のまな娘の神田沙也加が、6年ぶりにポニーキャニオンからアルバムをリリースした。しかも、母親に代わり、サンミュージックと業務提携した上で制作された第1弾作品だったことも判明。うがった見方かもしれないが、母親の尻ぬぐい、もしくは母親を見返したいという思いの表れと取れなくもない。

 聖子が、サンミュージックと業務提携をしたというニュースが流れたのは、2007年のこと。”芸能界の育ての親”である同プロの相澤秀禎会長が、音楽活動に行き詰まっていた聖子に助け舟を出したはずだった。当時、聖子はソニーミュージックに所属。自身が作詞・作曲したオリジナル曲を次々に発売するが売れていなかった。

 そこで、業務提携したサンミュージックは、大物アーティストの楽曲で、かつてのようなビッグヒットを狙いたいと提案したが、聖子はそれを拒絶。さらに「CDが売れないのは、レコード会社のせい」という身勝手な理屈で、一昨年6月にユニバーサルミュージックに移籍。移籍後もサンミュージックは、今度こそ業務提携の成果を出したいと、複数の大物アーティストの楽曲案を用意したが、すべて拒絶。結局は、自作の「いくつの夜明けを数えたら」が昨年5月にユニバーサル移籍第1弾として発売された。この曲はフジテレビの人気ドラマ『チームバチスタ2』の主題歌に起用されたにもかかわらず、オリコンのベスト10にも入らず、ユニバーサルの担当者が筆者の前でさんざん愚痴っていたのを記憶している。

 聖子はソニー時代から、自らの作詞・作曲能力を勘違い。わがままを通してきた。その背景には、聖子のアレンジャーを務める男性ミュージシャンの存在があったと言われる。このアレンジャーは、自らの職を失いたくないために手放しで聖子の曲を絶賛してきた。そのアレンジャーと聖子の仲は不明だが、彼が付いている限り、ヒット曲は望めないのではないか。また、サンミュージックとの業務提携も履行されるのは難しいだろう。

 そんな聖子を見限ったのか、サンミュージックは沙也加と業務提携して、アルバムを発表した。

 考えてみれば、沙也加の人生は聖子によって翻弄されてきた。1985年に聖子は神田正輝と結婚、翌年に沙也加が誕生したが、聖子は妊娠時から田原俊彦と遊びほうけていた。出産後も育児を放棄して、次々と男と噂になった。そうした実情を取材した筆者は、各メディアで”生み捨て親”と言って、批判したものだ。

 しかし、親はなくても子は育つ。成長した沙也加は芸名「SAYAKA」で01年に歌手デビュー。その後、バツイチのギタリストとの熱愛が発覚するや、聖子は自身の事務所に所属していた沙也加を解雇した。いわゆる勘当だ。

 あれだけ奔放な男性遍歴を重ねてきた”生み捨て親”の聖子にそんな資格があるのかと筆者は疑問に思った。しかし、血は水よりも濃しではないが、最終的には沙也加が折れて、事務所に復帰、06年に女優として再デビューした。その後、数多くのミュージカルに出演して、歌唱力を磨いた沙也加。まさかの母親に代わってのサンミュージックとの業務提携だが、彼女の中には歌手として、女として、少しでも母親を見返したいという気持ちがあったのではないか。筆者が次に期待したいのは、母親をもしのぐ、大物との恋愛スキャンダルだ。
(文=本多圭)

『松田聖子オリジナル・サウンドトラック集 1981~1985』

 
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