アリスJAPAN『AV黄金期・復刻レビュー』第7回

川崎ロックで見た実物の安藤有里 その肉体は隅々まで美しかった!

PDV-102_lMC.jpg『復刻 スペルマエクスタシー 安藤有里』 品番:PDV-102/監督:小原秋宣/時間:60分

 オリジナルは93年8月27日発売。『スペルマエクスタシー まったり印のホワイトソース』(小原秋宣監督)を見ていて最も驚いたのは、安藤有里が本番をしていたことだ。

 わずか60分の作品で彼女は4回もベッドシーンを見せているが、2番目のシークエンスの男優・島袋宏との絡みはモザイクの範囲が小さく再編集されているおかげで、ちゃんと結合しているのが分かる。カメラもまたその結合部分にアップで迫り、今日で言うところの”ハメしろ”を見せるフレーミングだ。リモザイクのおかげで、最初の秋吉宏樹との絡み、3番目の島袋との”女体探検アワー”、4番目の斉藤竜一との絡みはどうやら疑似であることも、同じように確認できてしまう。第3シークエンスでの島袋の指マンのシーンは彼女の内部に二本指がズブズブ入るのが確認でき、興奮的シーンになっている。もちろんヘア、アナルにモザイクはかかっていない。

 安藤有里が本番女優ではない、と思っていたのは、彼女がデビューした93年頃の単体には、まだまだ疑似のみの女優も多かったからで、とくにアリスJAPANとクリスタル映像系(メシアレーベルやコンフィデンス作品含む)という大手2社を中心に主演し人気を集めた彼女は、必ずしも本番をしなくても充分に売れたはず。

 自分の見間違いかと思って資料を当たって確認すると、彼女自身のこんな発言があった。

「本番と疑似と両方なんですよ。一日に何回もからまなきゃならない時には、疑似と本番にしてもらってるんだけど、疑似のほうが疲れますよね。あれ(筆者注・男優のペニスのこと?)が有里のからだの下にくるでしょう。男優さんが痛がるから、本当に入ってるほうが楽だと思いますよ。声も本番だと変わるって言われるし、『だから本番やって』って言われる(笑)わたしってまだ演技もへただし本番のほうが雰囲気あるから」(ビデオ・ザ・ワールド 94年2月号 本橋信宏のビデオ女優インタビューより)

 なるほど、そういうことで本番1回、疑似3回の構成だったのか。

 安藤有里は93年7月のデビュー。しかしその前の半年間で”高倉みなみ”の名義でティファニー・レーベル(芳友舎系の高級女優単体専門レーベル)への出演作が何作かある。おそらくその時代には疑似のみの演技だったのだろう。おそらく事務所を移籍し、本番アリに切り替え、芸名を変えて安藤有里(アリ=ダジャレ?)として再デビューしたのではないか。

 93年といえば飯島愛がAV女優の仕事をやめて芸能タレント専業へ移行した年だ。

 飯島愛のテレビ進出はAV界にとって衝撃的な出来事であり、絡みのハードさよりもテレビ出演することで作品が売れるという、業界にとってあまりありがたくない潮流を生み出した。テレビで売れるAV女優という存在が広く認知されたことで、本番のダーティなイメージを毛嫌いするプロダクションが現れ、AVの内容がソフト化する傾向が生まれたし、もともとテレビから独立していたはずのAV業界が、テレビを意識しなければ作品が売れなくなってしまったからだ。

 しかし同じ頃、村西とおるが率いるダイヤモンド映像の倒産劇があり、同社に囲われていた専属女優たちが一気に他社に出演することになった。そこでハードな絡みをする単体女優が多くのメーカーに拡散する現象が登場した。またダイヤモンド・ショックという言葉が生まれたように、当時は爆発的に成長してきたAV市場が頂点を迎えて飽和状態となり、不況の波が押し寄せてきた時代でもあった。

 テレビ出演できる美少女AV女優を各社が血眼になって探す一方で、製作予算のすべてを単体女優に当てられないメーカーは、B級女優を複数出演させた”企画もの”と呼ばれる作品を多作するようになり、それらが売れたことによって、内容のハードさを競うという方向性も現れてきたのである。90年代中盤は、AV業界の潮流がめまぐるしく変化した時代だった。ビデ倫を通さないセルAVの嚆矢、「ビデオ安売王」が現れるのもこの時代である。

 そうした中で、たとえば飯島愛と同じテレビ東京の『ギルガメッシュNIGHT』で人気者になった憂木瞳はどちらかといえば本番を希望するポリシーの持ち主であったし、同じ頃、金津園の高級ソープランドからスカウトされた有森麗、ハードさを売りにした氷高小夜などもデビューしている。つまり単体女優でも本番できるという要素が求められ始めたのが93年頃のAV界だった。安藤有里はそうした状況の中で誕生したAV女優なのである。そこに彼女が本番しなければならなかった理由がある。

 それともうひとつ、安藤有里で忘れられないのがストリップ劇場への出演だ。  

 単体級のAV女優で最初にストリップの舞台でオープン(性器を見せること)をしたのは90年から91年にかけての林由美香ではないかと言われている。その後、ビデオの出演オファーが一段落したAV女優たちが、高級感ある演出ポリシーのロック座系の舞台(浅草ロック座、川崎ロック座、新宿ニューアートなど)に大挙して出演する状況が定着した。筆者個人の好き嫌いで申し訳ないが、実はビデオ出演していた当時の安藤有里にはそれほど興味が持てなかった。とくに演技が巧かったわけではないし、タレントの千堂あきほを意識したようなパーマネントのロングヘアも趣味ではなかったので、ビデオはほとんどスルーしていた。

 その頃、筆者は地方競馬や競輪に深くハマり(この当時はギャンブル場で業界人とよく鉢合わせした。市原克也やアリスJAPAN広報のM氏など……)、川崎競輪場や川崎競馬場に足しげく通っていた。大きく儲かったある夜、川崎での豪遊のついでにロック座に入ってステージを見ると、たまたまその時に出演していたのが安藤有里だった。そこで筆者は彼女の優雅でゴージャスな踊り、身のこなし、そして当時は巨大なモザイクでぶ厚く覆われていた秘部までを開帳する大胆な演出に衝撃を受け、追っかけになろうかと血迷ったこともある(恥ずかしい告白だなァ)。とにかくビデオで見るより実物のほうが何十倍も美しいという印象で、筆者はそこからAV女優・安藤有里を再認識してビデオレンタル屋に走ったりしたのだ。

 ストリップにはあまり詳しくはないが、おそらく彼女はストリップ界で圧倒的な人気と名声を得て、その後全国の劇場を休みなく巡回し、膨大なファンを熱狂させたはずである。彼女はAV女優からストリップに転身して一時代を築いたビッグネームなのではないだろうか。安藤有里は99年にストリップから引退、完全に身を引いたようだ。

 AV女優のストリップ出演は今なお続き、浅草や歌舞伎町の劇場には日本人のみならず、中国、台湾、韓国から団体観光客が引きも切らず殺到する、隠れた一大観光財源と化している。その歴史の中に安藤有里は確実に名前を残している。

 今回、久々に彼女の美しい肉体をDVDの高画質で隅々まで見て当時を思い出したし、本番だったという事実も再認識させられた。復刻AVの醍醐味はこういうところにある。ありがとうアリスJAPAN、と言いたい。
(文=藤木TDC)

◆アリスJAPAN『AV黄金期・復刻レビュー』詳細はこちら

『復刻 スペルマエクスタシー 安藤有里』

 
ちなみに好きなプロレスラーは小橋健太!

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<アリスJAPAN『AV黄金期・復刻レビュー』 バックナンバー>
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