AVライター・雨宮まみの【漫画評】第11回

誰も悪くなくても、せつない ── 恋愛に入り交じる感情を描いた、一冊なのに壮大な物語

kyomachiko.jpg『100番目の羊』今日マチ子(著)/廣済堂出版

 「今日マチ子」といえば、知ってる人は知っている今注目の作家である。今注目っていうか注目の時期はとっくのとうに過ぎて、もうブレイク街道まっしぐらな時期かもしれない。そんな今、発売されたのがこの新刊『100番目の羊』(廣済堂出版)である。

 私は今日マチ子という人の作品を、知ってはいたけど自分の人生には関わってこないものだと思い込んでいた。この、少女マンガっぽい表紙を見て「ああ、オレの人生とも関係ないわ~」と思う人もいるかもしれない。けど、今日マチ子という人はそうじゃなくてもっと例外的な存在なのだ。たとえば、女性向けとされているマンガをほとんど読まない人でも岡崎京子だけは読んでいたりするように(今日マチ子が岡崎京子に似ているという意味では決してない)、ジャンルのボーダーはおろか、個人の守備範囲をも越えてくる作家だとこれを読んで思った。

 主要人物は5名。修道院で育った孤児の高校生なおみが主人公で、なおみが好きな男・ハヤシと、ハヤシと一緒に寝てる女・典子、なおみに異常な好意を寄せる中学生マナとその執事が繰り広げる、というほどには大きく繰り広がらない日常が一見さらりと描かれている。

 フルカラーでこの描線、色使い、セリフ。たまらん人にはたまらんであろうこのセンスを、私は「好きな人だけが好きなもの」と思い込んでいた。でもそうじゃなかった。こういうのが好みじゃなくても引き込んでくる力を、今日マチ子の作品は持っている。

 今日マチ子(今まで何回「今日マチ子」って書いたんだろう……。呼び捨てにしてすみません)は、なんかこう、わかったふうなことをついつい言いたくなってしまう作風でもある。私もこれを書く前までは「コマとコマの間、行間に情感があふれている」とか、「描かれていない部分が果てしなく広大にひろがっている」とかうっかり書きたい気分になっていたんだが、ちゃんと読むとそれが大きな間違いであることがわかる。今日マチ子の絵は、セリフがなかったとしても話がわかるぐらいすべてを描いている。登場人物の発する言葉のほとんどは相手に自分の気持ちを伝えられない不器用な言葉やテキトーに言っただけの無責任な言葉、嘘、気持ちをストレートに言葉にしていても相手に受け止めてもらえない言葉だったりする。

 言葉がいらないわけじゃない。でもその「言葉ですれ違ってゆくうわべと本心」を、なによりも絵が雄弁に物語っていて、端的なエピソードを描いてあるだけのこの薄い薄い本の中にぶわっと広い広い「感情で感じる世界」が描かれているのだ。

 一見さらりと描かれているように見える片思いやいいかげんや嘘、甘えや傲慢は、じつはさらりとそこに投げ出されているわけではない。この雰囲気のある絵を見て、雰囲気で意味ありげ~に思わせるだけで終わる作品だと思ったらそれは大間違いだ(ごめん全部読む前の私の偏見です)。

 ウソばかり、テキトーなことばかり言うハヤシを、はっきりものを言ってやりたいことをやる典子が揺さぶり、なおみはほとんど何もできないでそれを見ている。その「見ている」ことしかできない恋の気持ちが、気づかないうちに読んでいるこちら側にひたひたとこぼれ、足元を濡らし、気づけば息が苦しいほどの水位まで来ている、そんな感覚に陥る。

 やわらかく、かわいく、せつなく、でもきちんと汚れている世界の、汚れているがゆえのピュアネスがしみいるように尊く、暴力的に美しい。とか、こういう理屈をつい並べてしまうのがよくないと思うが、良さを伝えたい気持ちが空回っているだけだと思ってほしい。全然理屈っぽい作品ではないし、分析を必要とするような作品でもない。とてもわかりやすく、読みやすい作品だ。

 あたらしいものを読んでみたい人には、ぜひ手にとって、立ち読みで読んだ気にならず家で何度か読んでみてほしい。

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