歴史発掘:メンズサイゾー事件簿

亭主を寝取られた京都の芸妓が不倫相手と川原で決闘!

geiko.jpg※イメージ画像 photo by atharva80 from flickr

 明治期の新聞には現在とは違って、ゴシップ的な記事も数多く掲載されている。たとえば、『朝日新聞』明治22年6月28日号には、夫を略奪された芸妓が相手の女性と川原で「決闘」したという記事が掲載されている。

 京都は先斗町に音村屋福助という芸妓がいたが、とくに懇意にしている馴染み客が市議選に選挙に出馬することとなった。そこで福助、何とかこの男を当選させようと、客の中に有権者らしい者を見つけると、意中の男に投票してくれるように頼み込んだ。現在とは違い、当時は投票権を持つ者は高額納税者など一部の限られた者のみだった。


 そして、福助の努力の甲斐があったのかどうかはわからないが、とにかくその男は当選して市会議員となった。かねてから、当選の暁には福助と結婚の約束までしていた。

 ところが、市議となった男はどういう心境の変化か、種菊という18歳の、別の芸妓のもとへと通い詰めることとなり、福助のところにはまったく来なくなってしまった。

 これを聞き及んだ福助は激怒。「この泥棒猫め」という思いであろうか、種菊に「果たし状」を送りつけた。

「一筆しめし参らせ候」で始まるその文面は、「お前は私の旦那様を寝取ったばかりか、私の悪口まで言いふらしているようだが、あの人が市議になることができたのも私の努力があってのこと……」と自らの心情を訴えた上で、「明ばん松村屋の裏の川原でけつといたしたくたがいに女の事ゆゑに手にはなにももたずうでづくで致すべく此段申こみ候かしこ」、すなわち、明日の夜に川原で決闘を申し込むが、女であるから素手で勝負しよう、ということを申し込んだ。

 これに対して、18歳の種菊も気丈なもので、「しようち致しました」と受けて立つ文を返している。

 さて、翌日の明治22年6月21日深夜12時頃、指定した川原で、白い浴衣に髪を束ねた福助が待っていると、友禅染のひとえものを着込んだ種菊がやってきた。その姿を見るや、福助は「オオーッ」と雄叫びを上げ、「私の旦那様を横取りしなさったな!」と飛び掛る。これを受けた種菊も、「横取りして何が悪いの」と売り言葉に買い言葉。そうしてしばし言い合いしたかと思うと、両者いきなり相手に襲い掛かり、素手で殴り合いを始めた。あげくは、互いに噛み付くわ引っかくわという、まさにキャットファイト状態となり、髪は乱れ着物は破れるも、まったく勝負がつく気配が無い。

 そうしているうち、近所の人々が騒ぎに気づいて集まってきた。そして、やっとの思いで2人を引き離したという。その後の顛末は、記事には書かれていない。

 世間の一部では、しばしば「昔に比べて女性は強くなった」などと言う向きがあるようだが、歴史をひもといてみると、どの時代にも強い女性と弱い男は存在している。無責任に憶測だけで物事を語らないようにしたいものである。
(文=橋本玉泉)

 

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